【Nanaのこれまでの歩み】

パートで月3万円も稼げなかった私が
家族の笑顔を取り戻した物語

第1話:昨日までの見慣れた景色が崩れる時

好きなことを仕事にして生きることが真の幸せだ、と教えてくれた父。

平凡が一番大変なのよ、と諭してくれた母。

職探しの最中に、私はよく今は亡き両親のこの言葉を思い出していました。

結婚してアメリカに来る前は、
日本で10年ほどウェブデザイナーをしていました。

そして結婚後、一旦現場からは退く形で仕事はやめ、
主人と暮らすためアメリカに渡った訳ですが
アメリカに来てからアフィリエイトというもの知りました。

しかし、すぐに行動にうつすきっかけにはなりませんでした。

実際、夫の給料だけでは、生活はいっぱいいっぱいだったので
私も働かないといけないことは薄々わかっていました。

でも、英語はネイティブではないし、問い合わせの電話や
面接をしたりする勇気がどうしてもでませんでした。

電話をかけようにも怖いし、どうやって英語で話したらいいのか
頭で考えれば考えるほど緊張し過ぎてしまい、
手が止まってかけることができません。

勇気を振り絞ってかけたら、
留守電に切り替り無機質な機械の声が流れてくると
逆に、ホッとしてしまうような始末・・・

だからといって、ネットで履歴書を送っても、
ことごとく返事がくることはありませんでした。

まだ、アメリカにきて1年くらいは、フリーのデザイナーとして
多少日本からお仕事をもらっていましたが、息子が生まれたころから
ぱったりその仕事もこなくなってしまいました。

その矢先に、いつものように勤めに出かけた夫が
なぜか午前中で帰ってきたのです。

おかしいな、と思ったら、なんと

「会社、クビになった・・・」

こんな突然に解雇されるアメリカの仕事環境に驚くとともに
夫の仕事がなくなったことで、収入源が閉ざされます。

収入0(ゼロ)。

独身の頃は、ずっと働いていましたから、収入が途絶えたことはありません。

貯金があればまだ生きて行けますが、それもなかったら
収入が途絶えた時点で、住むところがなくなりますね。

一家で、ホームレス。

毎月の家賃を払わなければいけないし
幸い、失業保険の受給があったとしても、
それだけでは到底足りません。

こんな緊急事態に手っ取り早く、日本人である私が
働くことができるのはジャパニーズレストランしかありません。

ウェイトレスです。

最短でも夫の仕事が決まるまではと
小さい息子がいるのにイヤでしたが、すぐさまパートに出ました。

しかし、ウェイトレスの仕事は、チップで稼ぐので
時給は日本円だと300円程度。

昼間働ければ良かったけれど、ランチはお金になりません。

ウェイトレスはずっと歩きっぱなしですから、週末夜は忙しく、
足は毎日棒のようで、フラフラで帰ってくるともう日付が変わってました。

スヤスヤ眠る息子の寝顔を見て、そのままベッドに倒れ込みました。

慣れないアメリカでの職場。

慣れない英語での接客。

足、肩、腰は痛くて、自分でマッサージしても
ちっともラクにならず、カチカチに凝り固まっていました。

「せっかく日本でデザインのスキルを身につけたのに
 私は何をやっているのか。」

そう思うとみじめで悔しくて涙が出ました。

no-hope

また、リビングのマイエリアでパソコンにへばりついて
毎日過ごす夫の隣でまだ小さい息子が、ちょこんと座って
一人ででテレビを見ている姿を想像しただけで
「ママのせいでごめんね。」という気持ちでいっぱいでした。

家族なので助け合うのは当然と解っていながら
職探し中の夫は、毎日家で休暇のようにのんびりしていて
なんて不公平なの!と恨めしく思ってました。

第2話:失敗だらけの自己流ネットビジネス

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ただ、夫の仕事が見つかると、他州へ引っ越しをしなくてはならず
そのタイミングで運良くパートは辞めることができました。

それでも、次の居住地は家賃が高く、それを払って、
光熱費などを払うと、後は食費でギリギリという有様。

傍からはそう見えなくても、日々生きることだけで精一杯でした。

それでも、もう二度とウェイトレスには戻りたくなかったので
一度目のアフィリエイトに挑戦してみることにしました。

ただ、わたしの最初のアフィリエイトは
今思うと「ひどかった」の一言に尽きます。

とりあえず、何か教科書は必要だろうとある商材を購入し
それは今から思えば、トレンドアフィリエイトと
物販アフィリエイトの両方を取入れた手法でした。

くる日もくる日も中身のないページを量産したり、
相互リンクのお願いに何百件とメールしたりして
うんざりするほど退屈でした。

それでも、稼げると信じて、馬車馬のように
毎日パソコンに向い作業を続けていました。

しかし、収入が発生するどころか
商材販売者が詐欺容疑で逮捕されてしまうのです。

騙され・・・た・・・?

人を騙すようなことはしなそうなその販売者でしたから
もう、誰も信じられない・・・と私のモチベーションはダダ下がりで
いつしかアフィリエイトを放り出してしまうのでした。

その後、手軽さで転売にも手をだしましたが、利益が出ても
仕入れでまたその資金を使い果たし、自転車操業から脱出できません。

とどめは為替の変動で利益が得られず止む終えず撤退。

ネットの情報を頼りにさまざま試した私の自己流ネットビジネスは
最後には一銭も残ることなく、泡となり消えてしまいました。

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どん底から見えたひとすじの光

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そうやって稼げないまま、相変わらずギリギリで生活していたある日。

夫の3度目の解雇通告・・・。

え? また?

さすがに3度目は、ショックというよりも
また家賃も払えなくなってしまう危機になることが解っていたので
その間に仕事を見つけなくちゃ! 私は焦りました。

このときは、猶予があったものの、後、数ヶ月で夫は解雇が決まってます。

さらに、そのタイミングで、息子の軽度発達障害が判明し
その彼を留守番させて仕事に出るなんてとてもムリだな、
という状況になります。

それに、もうウェイトレスなんかに戻りたくない。

あんな想いはもうたくさん・・・

でも、どうすれば・・・?

まずは、ウェブデザイナーの職へ応募するも、
またしても言葉の壁を乗り越えられず、
100通くらい履歴書を送ったけれど面接の連絡すらきません。

「息子のためになんとかしなくては」と思えば思うほど
現状とのギャップに精神的に追いつめられていきます。

夜中に一人で、頭を抱えて、眠れず
感情的に夫に当たり散らしたい気持ちになったりしました。

でも、どうせ英語では太刀打ちできませんし、
吐き出せる友達も近くには誰もいなくて
ぐっと堪えて言葉を飲み込むしかありません。

「またジャパニーズレストランで働くしかないのか?」

そう思いながら、虚ろな目でネットの求人広告を見ていた時に

「いろいろやってたのに、最近のキミは何もしていないね・・・」

夫の言葉が、ふと頭をよぎりました。

そういえば・・・私、いろいろやってたよね?!
どうしてやめちゃったの?

自問自答しながら、私の手はそのまま、もう古くなった記憶を
アップデートするために、ネットを渡り歩きました。

そして時間が経つのを忘れて
あるアフィリエイターのサイトに見入っていました。

気がつけば、眩しいくらいの西日の光が差し込む時間帯。

疲弊し、虚ろな目でモヤモヤしていたはずの私の心は
いつしか、スッキリと霧が晴れたようになっていました。

そして、差し込む西日のように心に激しい火がつき、
メラメラと燃え盛っていました。

「そうだ、やっぱりこれしかない!」

なぜなら、パソコンの画面の向こうには、
私が理想とする世界が確かに存在していたからです。


私は、今度こそ本気でアフィリエイトを学び
リベンジしてやると心に決めました。

第4話:「アフィリエイト」二度目のチャレンジ。その結果は?

もう2度目の挑戦でしたし「絶対に途中で諦めない」とだけ
自分に誓って進んでいきました。

毎日、家事の合間の時間は全てをアフィリエイトに注ぎ込みました。

何度もネットビジネスで失敗を繰り返した私ですから
今回は、指導者(メンター)の力を借りることにしました。

もう遠回りはしたくなかったので、不安になれば最終的には
その指導者に知恵を借りることにしたのです。

毎日毎日パソコンに向ってキーボードを叩き続け
家事の最中には音声教材でマインドを高めたりして
どっぷりとアフィリエイトに浸かって過ごしました。

そんな生活を続けて約1ヶ月後。

その日もいつものように、夕食後に食器を洗っていると
向こうのダイニングテーブルに置きっぱなしにしておいた
スマホからメール着信のアラームが聞こえてきました。

全ての食器をディッシュウォッシャーに放り込んで
スマホのメールを確認してみました。

すると、それは

10,000円ほど報酬が発生したことを通知するメールでした。

その金額は、私がウェイトレス時代に
身体を酷使し、息子との時間を犠牲にして、疲労困憊で働いて
やっと稼ぎ出すことができる金額の

実に3日分の給料に匹敵しました。

スマホの画面に釘づけになって、ポカーンとしている私は
一方で、まだ抱いていたアフィリエイトで稼げることへの不安が
過ぎ去ろうとしているのを確かに感じていました。

第5話:諦めなければ願いは叶う

その後、

その月は、1週間に2回ペースで同じくらいの報酬が毎週続いて発生しました。

作業開始から、約2ヶ月で10万円あまりの報酬が発生したことになります。

何がなんだか、わけがわかりませんでした。

だって、あれだけツライ、苦しい、泣く思いで
ウェイトレスとして働いていた時間で稼げる金額を遥かに超える額を
こうしてアフィリエイトで稼ぎ出してしまったのです。

労働への常識が覆る瞬間でした。

もはや、ウェイトレスなんかには絶対に戻らない、
そう、戻りたくないではなく、戻らなくていいんだな、って
思うことができたのです。

もうウェイトレスへ戻る必要がなくなった私は
大腕を振って家にいることができ、収入を得ながら息子との時間も取れ

「これが私が望んでいた世界。
 これで一生私は食べていくのだ。私はここで生きて行こう。」

うさんくさいだけだった「ネットでお金を稼ぐ」ということを体験し
お金や労働に対する価値観が壊れました。

初報酬が上がってから、半年後。

当初、願っていた夫の収入以上に稼ぐという目標を達成します。

今では、夫の解雇におびえることもなく
いつ離婚されても、もしものことがあっても
ビクともしない経済力を手に入れることができました。

そうして、お金に余裕が生まれてくると
心にも余裕が生まれ、イライラや怒る必要がなくなってきます。

私が笑顔になれたことで、
夫も息子もいつもニコニコ笑顔でいられるようになりました。

アメリカにきて初めて、穏やかな日が訪れました。

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好きなことを仕事にして生きることが真の幸せだ、と教えてくれた父。

平凡が一番大変なのよ、と諭してくれた母。

二人が私に残してくれた言葉は、まさに
今、ここに存在する私を二人がここまで導いてくれたようにも感じます。

そして、あまりにも早く旅立ってしまった二人を恨んだこともあったけど
死してたくさんのことを遺してくれた両親には今も頭が上がりません。

もう、世の中のほとんどの人が
好きなことだけやっていては生きて行けないし

平凡にすらなれず、いつも不安と不満で心は満タンで
それを愚痴として吐き出しながら、生きて行くしかないと思っています。

みんなそう信じ込まされているからです。

でも、本当は違う世界があるのなら・・・?

第6話:「自分を信じて諦めない」Nanaの理念

私の母は、私が20歳そこそこの時に旅立ってしまい
孫の顔はおろか、花嫁姿すら見せることは叶いませんでした。

当然、子育てのことは全く母から聞く事ができず、
妊娠時から実親の助けは皆無で一人で育てています。

そんな発達障害の息子を持つまでは、
できないヤツはいくらやってもできない、という考えをもつ
しょうもない最低の人間でしかありませんでした。

なぜなら、私自身がもともと勉強も運動もそれなりにできる子供だったからです。

何をやらせても卒なくできるタイプ。

そんな私だったから、謙虚さのかけらもなく
ネットビジネスでは、自己流で大丈夫とタカをくくり、
その結果は、ここまでに書いて来た通りです。

それまで、できないことなんてなかったような人生でしたからね。
とんだ勘違い野郎でした。

ただ息子を授かり、ネットビジネスで何度も失敗した経験と
ゆっくりでも着実に成長する息子を見守る中で気がついたこと。

もともとの能力なんてぜんぜん関係なくて、みんな平等に
その能力は備わっている。

それを磨いていくのか、いかないのか。

できるようになるまで、決して諦めないのかどうか。

それにつきると本気で思っています。

私は月に1000万円とか稼ぐほどのスーパーアフィリエイターではありません。

ですから、そこを目指したいなら他を当たってくださいね。^^

みんながみんなお金と時間の自由をめざすべき、とか
家族を守るために動き出さないといけない、とか
強要するつもりはありません。

私はただ

あなたがもし、私と同じように、お金と時間の自由を手に入れることで
あなたが笑顔になり、あなたの家族も幸せになれるのなら

そして実際になりたいと思っているのなら
私が試した方法はなかなかいいよ、と伝えたいだけなのです。

決してアフィリエイトが簡単だなんてことは言いません。

現に、私は失敗だらけでしたしね。

ただ、お金と時間の自由を得るために頑張っている人たちに
これだけ失敗しても必ずできる、という姿を見せる事で
勇気を持ってくれたなら、と願っています。

だって、この話は別に私だけのものではありません。

そう・・・次は、あなたの番だからです。

本来、人は幸せになるために生まれてきていますし
それに貪欲にめざして行っていいはずです。

それを叶えるだけの力が、アフィリエイトにはあります。

あなたやあなたの家族がいつまでも幸せで笑顔でいられる道を
進んでいかれることを心より願っています。

family

それでは。